ムンクはこんな人でした

    1863年12月12日、エドワルド・ムンクはノルウェー南東部の小さな町に生まれました。
    父は厳格な医師、母はムンクが5歳のときに亡くなり、13歳では姉も亡くなります。
    ムンク自身も病弱で、常に「病」「死」に囲まれてた環境はムンクの生き方や絵画に大きな影響を与えました。


    【年表】

  • 1863年12月12日 ノルウェー南東部の町に生まれる。
  • 1881年       画家を志して王立美術工芸学校に入学
  • 1885-1886年    自然主義から脱した新しい技法で『病める子』制作。
  • 1889-1891年    ノルウェーで個展を開いた後、パリへ。『カール・ヨハン通りの春』など多数制作。
  • 1892年       ベルリンへ移住。ライフワークとなる【フリーズ・オブ・ライフ】制作開始。『カール・ヨハン通りの夕べ』『接吻』『メランコリー』などを制作。
  • 1893年       『叫び』など多くの作品を次々に制作、発表。
  • 1894-1895年   『吸血鬼/ヴァンパイア』発表。『吸血鬼』というタイトルは評論家が付けたタイトルでムンク自身は『接吻』を意図していた。『マドンナ』発表。
  • 1896-1900年   『ペール・ギュント』『汽車の煙』『生命のダンス』などを発表。
  • 1901-1906年   『桟橋の少女たち』『グラン・カフェのイプセン』など多数発表。
  • 1907年       『マラーの死 Ⅰ/Ⅱ』発表。1793年に女性に刺殺されたフランスの革命家ジャン=ポール・マラーをモチーフにしており、自らも恋人と1902年に発砲事件を起こしたムンクは自分を投影したといわれる。
  • 1908年      精神が不安定になり、デンマークで療養生活に入る。
  • 1909年      ノルウェーに戻り、クラーゲルー(Kragero)に居を構える。オスロ大学アウラ講堂の装飾壁画『太陽』などの制作に着手。
  • 1910-1916年   『海辺の冬』『ベルゲンの自画像』などを発表。オスロフィヨルドのネードレ・ランメ(Nedre Ramme)に移住し、家庭菜園を楽しみながら動物たちと暮らし始める。その後、オスロ郊外にエーケリー(Ekely)に居を構える。
  • 1919-1922年  フレイヤ・チョコレート工場の写真食堂に装飾画【フレイア・フリーズ】の連作『森へ向かう子どもたち』などを制作。
  • 1937年      ドイツの美術館所蔵のムンク作品82点が「頽廃芸術」に指定され、撤去・売却される。
  • 1944年1月23日 第2次世界大戦のさなか、大寒波の襲来で風邪をこじらせ、エーケリーにて死去。80歳

    ムンクの代表作

    ※「叫び」をはじめとする代表作品はこちら。

    2013年ムンク関連のイベント

    <in オスロ>
    1月23日 オスロ市庁舎で150周年開幕式
    6月2日~10月13日 国立美術館とムンク美術館で記念展が開幕
    10月~ ムンク美術館でムンクのグラフィックアート展
    12月12日 150周年祝賀、記念行事閉幕

    <in 東京>
    4月10日 14:00 カフェ・ムンク 渋谷ヒカリエにOPEN!
    4月19日 スペシャルイベント「Midnight+Munch ~もう一人のムンク」開催